タバコ対策をしてるとよくこんな反論を受けます。
『国民の自由を国が制限するとは何事か!』
『喫煙率を減らすなんて多様性に反している!』
『個々人の幸福追求権を阻害するな!』
いずれも誤解に基づく主張ですが、私はこれらを原則沼と呼んでいます。
・国は国民の自由を制限しない方がいい
・多様性は尊重された方がいい
・幸福追求権は阻害されない方がいい
これらは単体では全く正しいですが、あくまで原則であって貫かない方がいい場合も存在します。(そして喫煙規制はまさにその好例と言えます)
弱煙者を守りたい人たちは、これらの古典的な主張をされたときには、この記事へのリンクをその人に送ってあげてください。そして、喫煙者の権利を守りたい側の人たちは、これらの原則沼に終始することなく理論補強を試みてください。今日は原則沼にハマらないための対処法について書きます。
現実に三角形の内角の和が180度になることはない
『何を言ってるんだ。三角形の内角の和は180度に決まっているだろう』と思われる方は、原則沼にハマってしまっている方です。
現実に存在する三角形の内角の和はどれ一つとしてぴったり180度ではないのです。
それは、三角形の内角の和が180度になるためには前提条件が存在するからです。しかも、厄介なことに学校の授業ではこれを掘り下げることはありません。その前提条件とは、三角形を構成する三線が、
①完全な平面上にあること
②完全な直線であり歪みがないこと
③太さがないこと
です。現実にこの条件を満たす三角形は技術的に作れないので、内角の和が180度になることはありません。
このように、当たり前に思える原則論にも、それが成り立つための前提条件があります。この前提条件を見落とすと、冒頭のような的外れな主張をしてしまうのです。
国は国民の自由を制限しない方がいい
『国は国民の自由を制限しない方がいい』
これは憲法はもちろん法学の基本的な考えの一つであり、これ自体は正しいものです。しかし、ここで思考を止めてしまうのが、私の批判する原則沼ということになります。この場合の例外、すなわち『国家はどんな場合に国民の自由を制限してよいか』を考えないことには、この原則を理解したことにはなりません。私が思うに、以下のような場合には国家が国民の自由を制限してもよいと考えます。
①ある自由を少し制限することにより、他の自由が大いに守られること
(例:傷害や強盗を禁止することで、安全に生活できるようになる)
②国や法律以外に国民の自由を奪うものがあり、それを取り除くために必要最低限な措置であること
(例:第一種指定感染症を国内に持ち込まないために、当該感染症の患者を強制的に隔離する措置。病気もまた国民の自由を奪う要因になるため。)
他にもあると思いますが、どのような事態を思い浮かべますか?
①②から考察するに、この原則が成り立つには、
『国家以外にその自由を制限するものがない』ことが前提条件になっていると思われます。
多様性は尊重された方がいい
これも全く正しいと思いますが、以下のような場合に制限に服されることになる(例外)と考えます。
①多様性を単純に否定する価値観は、多様性の一部としては認められない
(例:性的少数者の全否定、他の宗教の全否定など)
②他者の権利を侵害するような思想や性質は、それを保有することは良くても、実行することは許されない。
(例:ロリコンは良いけど、小児強制わいせつはダメ)
他にもあると思いますが、どのような事態を思い浮かべますか?
①②から考察するに、この原則が成り立つには、多様性により許容される価値観が『多様性をかえって阻害せず、他者の権利や自由を奪わない』ことが前提条件になると思われます。
幸福追求権は阻害されない方がいい
これも上とほぼ同じでしょう。『他者の幸福追求を阻害しない』ことが前提条件になっていると思われます。
原則沼にハマらないために
つまり原理原則にはそれが成り立つための前提条件が存在し、そこに当てはまらない場合が例外となるということです。これを意識するだけで、原則沼にハマってしまう頻度をかなり抑えることができるでしょう。『前提条件』か『例外』、どちらかだけ意識すれば同じ結論にたどり着けるので、どちらかのアプローチだけ出来ればそれで十分です。
この『前提条件』と『例外』の考え方はあらゆる分野に応用できるのでオススメです。(法律学の分野では『権利と権利の衝突』や、『公共の福祉による調整』と説明されますが、考え方はほぼ同じです。)
何かを主張する際に『国は国民の自由を制限しない方がいい』や『三角形の内角の和は180度である』のような原則論を持ち出す際には、その前提条件を満たしているのか?例外に当てはまっていないか?意識することが重要です。
梅田夏希
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